は一時間のうちに、何度となく含嗽をさせて貰った。そうしてそのつど人に知れないように、そっと含嗽の水を幾分かずつ胃の中に飲み下して、やっと熬《い》りつくような渇《かわき》を紛《まぎ》らしていた。
 昔の計《はかりごと》を繰り返す勇気のなかった余は、口中《こうちゅう》を潤《うるお》すための氷を歯で噛《か》み砕《くだ》いては、正直に残らず吐き出した。その代り日に数回|平野水《ひらのすい》を一口ずつ飲まして貰う事にした。平野水がくんくんと音を立てるような勢で、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった。けれども咽喉を通り越すや否やすぐとまた飲みたくなった。余は夜半《よなか》にしばしば看護婦から平野水を洋盃《コップ》に注《つ》いで貰って、それをありがたそうに飲んだ当時をよく記憶している。
 渇《かつ》はしだいに歇《や》んだ。そうして渇よりも恐ろしい餓《ひも》じさが腹の中を荒して歩くようになった。余は寝ながら美くしい食膳《しょくぜん》を何通《なんとお》りとなく想像で拵《こし》らえて、それを眼の前に並べて楽んでいた。そればかりではない、同じ献立《こんだて》を何人前も調《ととの》えておいて、多数の朋
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