西洋人の書物を読んで、この人のは流暢《りゅうちょう》だとか、あの人のは細緻《さいち》だとか、すべて特色のあるところがその書きぶりで、読みながら解るかいと失敬な事を問い糺《ただ》した。
 教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小説家で、非常に難渋《なんじゅう》な文章を書く男である。ヘンリーは哲学のような小説を書き、ウィリアムは小説のような哲学を書く、と世間で云われているくらいヘンリーは読みづらく、またそのくらい教授は読みやすくて明快なのである。――病中の日記を検《しら》べて見ると九月二十三日の部に、「午前ジェームスを読《よ》み了《おわ》る。好い本を読んだと思う」と覚束《おぼつか》ない文字《もんじ》で認《したた》めてある。名前や標題に欺《だま》されて下らない本を読んだ時ほど残念な事はない。この日記は正にこの裏を云ったものである。
 余の病気について治療上いろいろ好意を表してくれた長与病院長《ながよびょういんちょう》は、余の知らない間にいつか死んでいた。余の病中に、空漠《くうばく》なる余の頭に陸離《りくり》の光彩を抛《な》げ込《こ》んでくれたジェームス教授も余の知らない間にいつか死んでいた。二
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