ても似つかぬ事が書いてあったので、こんなやにっこい色男《いろおとこ》は大嫌《だいきらい》だ、おれは暖かな秋の色とその色の中から出る自然の香《か》が好きだと答えてくれと傍《はた》のものに頼んだ。ところが今度は小宮君が自身で枕元へ坐《すわ》って、自然も好いが人間の背景にある自然でなくっちゃとか何とか病人に向って古臭い説を吐《は》きかけるので、余は小宮君を捕《つらま》えて御前は青二才《あおにさい》だと罵《ののし》った。――それくらい病中の余は自然を懐《なつ》かしく思っていた。
空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼《あお》い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返《いかえ》しの大地に洽《あま》ねき内にしんとして独《ひと》り温《ぬく》もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉《あかとんぼ》を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語《ご》よりも黙《もく》。……肩に来て人|懐《なつ》かしや赤蜻蛉《あかとんぼ》」
これは東京へ帰った以後の景色《けしき》である。東京へ帰ったあともしばらくは、絶えず美くしい自然の画が、子供の時と同じように、余を支配していたのである。
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