間らしい複雑な命を有して生きてはいなかった。苦痛のほかは何事をも容《い》れ得《え》ぬほどに烈《はげ》しく活動する胸を懐《いだ》いて朝夕《あさゆう》悩んでいたのである。四十年来の経験を刻んでなお余りあると見えた余の頭脳は、ただこの截然《せつぜん》たる一苦痛を秒ごとに深く印《いん》し来《く》るばかりを能事とするように思われた。したがって余の意識の内容はただ一色《ひといろ》の悶《もだえ》に塗抹《とまつ》されて、臍上方《さいじょうほう》三寸《さんずん》の辺《あたり》を日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった。余は明け暮れ自分の身体《からだ》の中《うち》で、この部分だけを早く切り取って犬に投げてやりたい気がした。それでなければこの恐ろしい単調な意識を、一刻も早くどこへか打ちやってしまいたい気がした。またできるならば、このまま睡魔に冒《おか》されて、前後も知らず一週間ほど寝込んで、しかる後|鷹揚《おうよう》な心持をゆたかに抱いて、爽《さわや》かな秋の日の光りに、両の眼を颯《さっ》と開《あ》けたかった。少くとも汽車に揺られもせず車に乗せられもせず、すうと東京へ帰って、胃腸病院の一室に這入《はい》って、そこに仰向《あおむ》けに倒れていたかった。
 森成さんが来てもこの苦しみはちょっと除《と》れなかった。胸の中を棒で攪《か》き混《ま》ぜられるような、また胃の腑《ふ》が不規則な大波をその全面に向って層々と描き出すような、異《い》な心持に堪《た》えかねて、床《とこ》の上に起き返りながら、吐いて見ましょうかと云って、腥《なまぐさ》いものを面《ま》のあたり咽喉《のど》の奥から金盥《かなだらい》の中に傾けた事もあった。森成さんの御蔭《おかげ》でこの苦しみがだいぶ退《ひ》いた時ですら、動くたびに腥い噫《おくび》は常に鼻を貫《つら》ぬいた。血は絶えず腸に向って流れていたのである。
 この煩悶《はんもん》に比《くら》べると、忘るべからざる二十四日の出来事以後に生きた余は、いかに安住の地を得て静穏に生を営んだか分らない。その静穏の日がすなわち余の一生涯《いっしょうがい》にあって最も恐るべき危険の日であったのだと云う事を後から知った時、余は下《しも》のような詩を作った。
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円覚曾参棒喝禅[#「円覚曾参棒喝禅」に白丸傍点]。 瞎児何処触機縁[#「瞎児何処触機縁」に白丸傍点]。
青山
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