は一時間のうちに、何度となく含嗽をさせて貰った。そうしてそのつど人に知れないように、そっと含嗽の水を幾分かずつ胃の中に飲み下して、やっと熬《い》りつくような渇《かわき》を紛《まぎ》らしていた。
昔の計《はかりごと》を繰り返す勇気のなかった余は、口中《こうちゅう》を潤《うるお》すための氷を歯で噛《か》み砕《くだ》いては、正直に残らず吐き出した。その代り日に数回|平野水《ひらのすい》を一口ずつ飲まして貰う事にした。平野水がくんくんと音を立てるような勢で、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった。けれども咽喉を通り越すや否やすぐとまた飲みたくなった。余は夜半《よなか》にしばしば看護婦から平野水を洋盃《コップ》に注《つ》いで貰って、それをありがたそうに飲んだ当時をよく記憶している。
渇《かつ》はしだいに歇《や》んだ。そうして渇よりも恐ろしい餓《ひも》じさが腹の中を荒して歩くようになった。余は寝ながら美くしい食膳《しょくぜん》を何通《なんとお》りとなく想像で拵《こし》らえて、それを眼の前に並べて楽んでいた。そればかりではない、同じ献立《こんだて》を何人前も調《ととの》えておいて、多数の朋友にそれを想像で食わして喜こんだ。今考えると普通のものの嬉しがるような食物《くいもの》はちっともなかった。こう云う自分にすらあまりありがたくはない御膳《おぜん》ばかりを眼の前に浮べていたのである。
森成さんがもう葛湯《くずゆ》も厭《あ》きたろうと云って、わざわざ東京から米を取り寄せて重湯《おもゆ》を作ってくれた時は、重湯を生れて始めて啜《すす》る余には大いな期待があった。けれども一口飲んで始めてその不味《まず》いのに驚ろいた余は、それぎり重湯というものを近づけなかった。その代りカジノビスケットを一片《ひときれ》貰った折の嬉《うれ》しさはいまだに忘れられない。わざわざ看護婦を医師の室《へや》までやって、特に礼を述べたくらいである。
やがて粥《かゆ》を許された。その旨《うま》さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。それからオートミールが来た。ソーダビスケットが来た。余はすべてをありがたく食った。そうして、より多く食いたいと云う事を日課のように繰り返して森成さんに訴えた。森成さんはしま
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