大いにうれしく思った。二時間ほど読書|三昧《ざんまい》に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。
「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫《ごう》も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化《じゅんか》一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余《よ》今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々《しんしん》たる頭《かしら》をおさえて未来|永劫《えいごう》に試験制度を呪詛《じゅそ》することを記憶せよ」
とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓
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