に不愉快な檜《ひのき》に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。
 三四郎はすぐ床《とこ》へはいった。三四郎は勉強家というよりむしろ※[#「彳+低のつくり」、第3水準1−84−31]徊家《ていかいか》なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬《きく》すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行《おくゆき》があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。
 手紙には新蔵《しんぞう》が蜂蜜《はちみつ》をくれたから、焼酎《しょうちゅう》を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米《ねんぐまい》を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪《かんしゃく》が強いので、時々女房を薪《まき》でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎《しい》の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら
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