が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈《まるあんどん》だと言ったが、夫子《ふうし》自身は偉大な暗闇だ」
「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」
「出たらよさそうなものだって、――先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」
三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。
「嘘《うそ》じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末《さまつ》な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」
与次郎はまじめである。三四郎はその大言《たいげん》に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、
「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻《こうふん》である。
与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒《はださむ》の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたび
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