は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片《しへん》に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場に紛《まぎ》れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔と霜《しも》に染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片《いっぺん》、しかも活動する結果の一片が眸底《ぼうてい》を掠《かす》めて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野《たいや》を蔽《おお》う大戦争の光景がありありと脳裏《のうり》に描出《びょうしゅつ》せられた。
 しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲を繞《めぐ》る者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲の野《や》に起った咄喊《とっかん》の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣《おもむき》が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情《じょう》が籠《こも》っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々《
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