まちまち》であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯《きっぱん》の件、談判の件、懸引《かけひき》の件、挨拶《あいさつ》の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞《おきき》に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜《こまく》に迷惑を懸《か》けるのはよくせき[#「よくせき」に傍点]の事でなければならぬ。咄喊《とっかん》はこのよくせき[#「よくせき」に傍点]を煎《せん》じ詰めて、煮詰めて、缶詰《かんづ》めにした声である。死ぬか生きるか娑婆《しゃば》か地獄かと云う際《きわ》どい針線《はりがね》の上に立って身《み》震《ぶる》いをするとき自然と横膈膜《おうかくまく》の底から湧《わ》き上がる至誠の声である。助けてくれ[#「助けてくれ」に傍点]と云ううちに誠はあろう、殺すぞ[#「殺すぞ
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