」に傍点]と叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味《いやみ》もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐《いつわ》りもなければ懸引《かけひき》もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪《しんとう》さしてワーと鳴る。万歳[#「万歳」に傍点]の助けてくれ[#「助けてくれ」に傍点]の殺すぞ[#「殺すぞ」に傍点]のとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直《ただ》ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度[#「一度」に傍点]に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境《げんきょう》に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これ
前へ 次へ
全92ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング