見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五|分《ぶ》ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解《かい》せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃《たお》れたる者は枚挙《まいきょ》に遑《いとま》あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼《せま》った」今度は言文一致である。「軍人が軍《いく》さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損《そく》なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩《くず》す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も
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