の棒の下からある字が三分の二ばかり食《は》み出している。郵[#「郵」に傍点]の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「大※」に傍点][#「郷−即のへん」、232−1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕《こ》ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆《さか》さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日《にさんち》一睡もせんので勤務中坑内|仮寝《かしん》。郵便局で逢った女の夢を見る」
余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経《へ》て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」
余は日記をぴしゃりと敲《たた》いてこれだ! と叫んだ。御母《おっか》さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘《わがまま》だの残酷だのと心中
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