味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨《ほしょう》散弾に中《あた》る。テントに仆《たお》れかかる。血痕《けっこん》を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231−5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控《てびかえ》であるから、毫《ごう》も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢《ちょうたく》したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大《おおい》に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝《つ》くだの、暴慢なる露人だの、醜虜《しゅうりょ》の胆《たん》を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心《かんじん》の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透《す》かして見る。二行目
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