でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕|内《うち》がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢《てあか》でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見《み》ようとすると表の戸がからからと開《あ》いて、頼みますと云う声がする。生憎《あいにく》来客だ。御母さんは手真似《てまね》で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐《うちぶところ》に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入《い》らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町《ひさかたまち》の往来《おうらい》へ出る。
伝通院《でんずういん》の裏を抜けて表町の坂を下《お》りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究《きわ》めて、全体の成行が明瞭《めいりょう》になりさえすればこの不自然も自《おの》ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければ
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