際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精《くわ》しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提《さ》げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸《おいか》けて名前だけでも聞いて見《み》ようか、それも妙だ。いっその事黙って後《あと》を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善《よ》かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月|塹壕《ざんごう》に飛び込んだぎり、今日《きょう》まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖《つえ》で敲《たた》いても、手で揺《ゆ》り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝《ね》ているだろう。こんな美人が、
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