いしょう》の奥には熱涙が潜《ひそ》んでいる。雑談《じょうだん》の底には啾々《しゅうしゅう》たる鬼哭《きこく》が聞える。とすれば怖[#「怖」に傍点]と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語《もうご》のうちに身の毛もよだつほどの畏懼《いく》の念はあるはずだ。元来|諷語《ふうご》は正語《せいご》よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭《いと》う美人の根性《こんじょう》を透見《とうけん》して、毒蛇の化身《けしん》すなわちこれ天女《てんにょ》なりと判断し得たる刹那《せつな》に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層|怖《おそ》るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物《ばけもの》の方が定石《じょうせき》の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜《いちや》をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍《おど》るものがあったらこのカッポレは非常に物凄《ものすご》かろう。これも一種の諷語《ふうご》であるからだ。マクベスの門番は山寺
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