って、怖[#「怖」に傍点]を冠すべからざる辺《へん》にまで持って行こうと力《つと》むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖[#「怖」に傍点]化《か》せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言|諧謔《かいぎゃく》とは受け取れまい。
世間には諷語《ふうご》と云うがある。諷語は皆|表裏《ひょうり》二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫《ひっぷ》の渾名《あだな》に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜《けんそん》するのはますます人を愚《ぐ》にした待遇法で、他を称揚するのは熾《さかん》に他を罵倒《ばとう》した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀《おじぎ》一つで人を愚弄《ぐろう》するよりは、履物《はきもの》を揃《そろ》えて人を揶揄《やゆ》する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目《まじめ》がくっついている。大笑《た
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