だと持ち上げられる経験がたび重《かさ》なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意《ぎょい》遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾《めかけ》を買い、金で邸宅、朋友《ほうゆう》、従五位《じゅごい》まで買った連中《れんじゅう》は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨《にら》んで高《たか》を括《くく》った鼻先を虚空《こくう》遥《はる》かに反《そ》り返《か》えす。一度の経験でも御多分《ごたぶん》には洩《も》れん。箔屋町《はくやちょう》の大火事に身代《しんだい》を潰《つぶ》した旦那は板橋の一つ半でも蒼《あお》くなるかも知れない。濃尾《のうび》の震災に瓦《かわら》の中から掘り出された生《い》き仏《ぼとけ》はドンが鳴っても念仏を唱《とな》えるだろう。正直な者が生涯《しょうがい》に一|返《ぺん》万引を働いても疑《うたがい》を掛ける知人もないし、冗談《じょうだん》を商売にする男が十年に半日|真面目《まじめ》な事件を担《かつ》ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により
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