かったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍《ふるがらん》と剥《は》げた額、化銀杏《ばけいちょう》と動かぬ松、錯落《さくらく》と列《なら》ぶ石塔――死したる人の名を彫《きざ》む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟|無礙《むげ》の一種の感動を余の神経に伝えたのである。
 こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言《きょげん》だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価《かけね》のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断《ことわ》って置く。余は文士ではない、西片町《にしかたまち》に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁《さおう》の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否《いな》や門の戸を続け様《ざま》に敲《たた》くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管《くだ》を捲《ま》くようなたわいもない事を呂律《ろれ
前へ 次へ
全92ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング