た剣《つるぎ》を懸《か》けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際《まぎわ》ほど高く見える事はない。羅《うすもの》に似た雲の、微《かす》かに飛ぶ影も眸《ひとみ》の裡《うち》には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐《はる》かに、無限に静かな空を会釈《えしゃく》もなく裂いて、化銀杏が黄金《こがね》の雲を凝《こ》らしている。その隣には寂光院の屋根瓦《やねがわら》が同じくこの蒼穹《そうきゅう》の一部を横に劃《かく》して、何十万枚重なったものか黒々と鱗《うろこ》のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍《がらん》と古き墳墓が寂寞《じゃくまく》として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後《うし》ろに背負《しょ》って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣《きぬ》の色と、その衣を真中から輪に截《き》った帯の色がいちじるしく目立つ。
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