んだい》の上に据《す》えつけられた石塔が見える。右手の方《かた》に柵《さく》を控えたのには梅花院殿《ばいかいんでん》瘠鶴大居士《せきかくだいこじ》とあるから大方《おおかた》大名か旗本の墓だろう。中には至極《しごく》簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書《かいしょ》で彫ってある。小供だから小さい訳《わけ》だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者《もうじゃ》は、年々御客様となって、あの剥《は》げかかった額の下を潜《くぐ》るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否《いな》や急に古《ふ》る仏《ぼとけ》となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家《だんか》は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所《くうしょ》を狭《せば》めずに、先祖代々の墓の中に新仏《しんぼとけ》を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人《ひとり》である。
 浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆《らんとうば》内でだいぶ幅の利《き》く方である。墓はいつ
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