番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重《かちょう》ならしめぬくらい、否《いな》その一点の動く事それ自《みずか》らが定寂《じょうじゃく》の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思《はんし》せしむるに足るほどに靡《なび》いたなら――その時が一番|閑寂《かんじゃく》の感を与える者だ。銀杏《いちょう》の葉の一陣の風なきに散る風情《ふぜい》は正にこれである。限りもない葉が朝《あした》、夕《ゆうべ》を厭《いと》わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧《じそう》もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩《はん》を避けたものか、または堆《うずた》かき落葉を興ある者と眺《なが》めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。
しばらく化銀杏《ばけいちょう》の下に立って、上を見たり下を見たり佇《たたず》んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入《はい》り込んだ。この寺は由緒《ゆいしょ》のある寺だそうでところどころに大きな蓮台《れ
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