袷羽織《あわせばおり》に綿入《わたいれ》一枚の出《い》で立《た》ちさえ軽々《かろがろ》とした快い感じを添える。先の斜《なな》めに減った杖《つえ》を振り廻しながら寂光院と大師流《だいしりゅう》に古い紺青《こんじょう》で彫りつけた額を眺《なが》めて門を這入《はい》ると、精舎《しょうじゃ》は格別なもので門内は蕭条《しょうじょう》として一塵の痕《あと》も留《と》めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌《はだ》の細かな赤土が泥濘《ぬか》りもせず干乾《ひから》びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色《けしき》ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅《が》な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖《ふ》えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内《けいだい》へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨《うらやま》しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方《おおかた》百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚《
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