》そうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意を惹《ひ》くに足る働《はたらき》をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々《ろくろく》として頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。
黒い塊《かたま》りが敵塁の下まで来たから、もう塁壁を攀《よ》じ上《のぼ》るだろうと思ううち、たちまち長い蛇《へび》の頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。丸《たま》を喰《くら》って斃《たお》れたとも見えない。狙撃《そげき》を避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だと眺《なが》めていると、順繰《じゅんぐり》に下から押し上《あが》る同勢が同じ所へ来るや否《いな》やたちまちなくなる。しかも砦《とりで》の壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕《ざんごう》だ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近《ちかづ》く事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂《きゅ
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