い。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡《なび》いている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまた斜《なな》めに仆《たお》れかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数《たにんず》集まって揉《も》みに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰《えら》ぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。己《おの》れの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替《かけがえ》のない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席を列《なら》べて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢《すりばち》の中に攪《か》き廻される里芋《さといも》のごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣を翳《かざ
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