にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生|出入《しゅつにゅう》して互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜《ひょうぼう》する趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。
「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中《ぞんじょうちゅう》御屋敷へよく上がりましたか」
「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻《せんこく》御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入《でいり》する機会もそれぎり絶えてしもうて、――その後《ご》は頓《とん》と逢《お》うた事がありません」
 そうだろう、そう来なくっては辻褄《つじつま》が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先《ま》ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶《あいさつ》をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。
 これからの話は端折《はしょ》って簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからが大《おおい》に腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点《がてん》出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来
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