だや》かであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流《ふうりゅう》をやったそうだ」
「その人の事について何か艶聞《えんぶん》が――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」
「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀《おのだたてわき》と云うて、二百石取りの侍《さむらい》がいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」
「なるほど」うまいだんだん手懸《てがか》りが出来る。
「それで両家は向う同志だから、朝夕《あさゆう》往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想《けそう》をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」
「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟《せいせき》は良好だ。
「で帯刀から人をもって才三の親に懸合《かけあ》うと、才三も実は大変貰いたかったのだからその旨《むね》を返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事が捗《はか》どったて」
「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。
「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」
「へええ」そう来なくってはと思う。
「その頃|国家老《くにがろう》にやはり才三くらいな年恰好《としかっこう》なせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕《れんぼ》して、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上《おかみ》の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意《ぎょい》でその方《ほう》の娘をあれに遣《つか》わせと云う御意が帯刀に下《お》りたのだて」
「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々|中《あた》るので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪《かぜ》を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちが悪《わ》るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責
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