水桶《ちょうずおけ》を鉄の鎖《くさり》で釣るしたのは洒落《しゃ》れているが、その下に一叢《ひとむら》の木賊《とくさ》をあしらった所が一段の趣《おもむき》を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠《ちゃばたけ》でその間に梅の木が三四本見える。垣に結《ゆ》うた竹の先に洗濯した白足袋《しろたび》が裏返しに乾《ほ》してあってその隣りには如露《じょろ》が逆《さか》さまに被《かぶ》せてある。その根元に豆菊が塊《かた》まって咲いて累々《るいるい》と白玉《はくぎょく》を綴《つづ》っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年は暖《あっ》たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院《じゃっこういん》の花筒に挿《はさ》んであるのは正にこの種のこの色の菊である。
「御叔母《おば》さん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだって中《じゅう》から風邪《かぜ》の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間《ま》はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀《たいぎ》になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」
「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分《なにぶん》元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々《わざわざ》連れてあるいてくれるものもありませず」
 こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母《おっか》さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀《しじゅうから》を眺《なが》めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法《ぶちょうほう》なる余にしては天晴《あっぱれ》な出来だと自分で感心して見せた。
「生憎《あいにく》そんな娘もおり
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