際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精《くわ》しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提《さ》げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸《おいか》けて名前だけでも聞いて見《み》ようか、それも妙だ。いっその事黙って後《あと》を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善《よ》かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月|塹壕《ざんごう》に飛び込んだぎり、今日《きょう》まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖《つえ》で敲《たた》いても、手で揺《ゆ》り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝《ね》ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提《さ》げて御詣《おまい》りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性《すじょう》も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺《ただ》さなくてはならん。何でも蚊《か》でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股《ひとまた》に飛び下りて化銀杏《ばけいちょう》の落葉を蹴散《けち》らして寂光院の門を出て先《ま》ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母《おっか》さんに逢って話をして見《み》よう、ことによったら容子《ようす》が分るかも知れない。
三
六畳の座敷は南向《みなみむき》で、拭き込んだ椽側《えんがわ》の端《はじ》に神代杉《じんだいすぎ》の手拭懸《てぬぐいかけ》が置いてある。軒下《のきした》から丸い手
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