のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院《じゃっこういん》の美人も解けるはずだ。
 百花の王をもって許す牡丹《ぼたん》さえ崩《くず》れるときは、富貴の色もただ好事家《こうずか》の憐れを買うに足らぬほど脆《もろ》いものだ。美人薄命と云う諺《ことわざ》もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充《み》ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染《ゆうぜん》とか、繻珍《しゅちん》とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出《はで》である立派である、春景色《はるげしき》である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖《そで》が忽然《こつぜん》と本来の面目を変じて蕭条《しょうじょう》たる周囲に流れ込んで、境内寂寞《けいだいじゃくまく》の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏《いちょう》の黄葉《こうよう》は淋《さみ》しい。まして化《ば》けるとあるからなお淋《さみ》しい。しかしこの女が化銀杏《ばけいちょう》の下に横顔を向けて佇《たたず》んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯《えいたい》して索寞《さくばく》の観を添えるのか。これも諷語《ふうご》だからだ。マクベスの門番が怖《おそろ》しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家《うち》から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括《くく》りつけてはないかと葉裏まで覗《のぞ》いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交
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