にK市へ用があって来たついでにここへ寄ったから、すぐ来いというだけにとどめた。それから湯にはいって出ると、もう食事の時間になった。自分はなるべく重吉といっしょに晩飯を食おうと思って、煙草を何本も吹かしながら、彼の来るのを心待ちに待っているうちに、向こうの中二階に電気燈がついて、にぎやかな人声が聞こえだした。自分はとうとう待ち切れず一人《ひとり》膳《ぜん》に向かった。給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下女は重吉のことをおとなしいよいかただと言った。女にほれられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。道楽をするだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をしていいえと答えた。

    五

 食事が済んで下女が膳《ぜん》をさげたのは、もう九時近くであった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自分はひとりで縁鼻へ座ぶとんを運んで、手摺《てす》りにもたれながら向こう座敷の明るい電気燈やはでな笑い声を湿っぽい空気の中から遠くうかがってつまらない心
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