け》たるうちに一点の温情を認め得ぬものは親の心を知らぬもので、また写生文家を解し得ぬものであろう。
この故《ゆえ》に写生文家は地団太《じだんだ》を踏む熱烈な調子を避ける。恁《かか》る狂的の人間を写すのを避けるのではない。写生文家自身までが写さるる狂的な人間と同一になるを避けるのである。避けるのではない。そこまで引き込まるる事がおかしくてできにくいのである。
そこで写生文家なるものは真面目《まじめ》に人世を観じておらぬかの感が起る。なるほどそうかも知れぬ。しかし一方から見れば作者自身が恋に全精神を奪われ、金に全精神を捧げ、名に全精神を注いで、そうして恋と金と、名を求めつつある人物を描くよりも比較的に真面目かも知れぬ。描き出ださるべき一人に同情して理否も、前後も弁《わきま》えぬほどの熱情をもって文をやる男よりもたしかなところがあるかも知れぬ。
吾《わ》が精神を篇中の人物に一図に打ち込んで、その人物になりすまして、恋を描き愛を描き、もしくは他の情緒を描くのは熱烈なものができるかも知れぬが、いかにも余裕がない作が現れるに相違ない。写生文家のかいたものには何となくゆとり[#「ゆとり」に傍点
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