とする。
 かくのごとき態度は全く俳句から脱化して来たものである。泰西の潮流に漂うて、横浜へ到着した輸入品ではない。浅薄なる余の知る限りにおいては西洋の傑作として世にうたわるるもののうちにこの態度で文をやったものは見当らぬ。(もっとも写生文家のかいたものにもこれぞという傑作はまだないようである)オーステンの作物、ガスケルのクランフォードあるいは有名なるジッキンスのピクウィックまたはフィールジングのトムジョーンス及びセルヴァンテスのドン・キホテのごときは多少この態度を得たる作品である。しかし全く同じとは誰が眼にも受け取れぬ。
 しかしこの態度が述作の上において唯一《ゆいいつ》の態度と云うのではない。またこれが最上等と云うのではない。ただこんな態度もあると云う事を紹介したいと思うのである。近頃写生文の存在がようやく認められるにつけて、写生文家の態度はこうであると、云い纏《まと》めるのは一般の人の参考になる事と思うからこの篇を草したまでである。
 俳句は俳句、写生文は写生文で面白い。その態度もまた東洋的ですこぶる面白い。面白いには違ないが、二十世紀の今日こんな立場のみに籠城《ろうじょう》して
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