まとま》った道行を作ろうとも畢竟《ひっきょう》は、雑然たる進水式、紛然たる御花見と異なるところはないじゃないか。喜怒哀楽が材料となるにも関《かか》わらず拘泥《こうでい》するに足らぬ以上は小説の筋、芝居の筋のようなものも、また拘泥するに足らん訳だ。筋がなければ文章にならんと云うのは窮窟《きゅうくつ》に世の中を見過ぎた話しである。――今の写生文家がここまで極端な説を有しているかいないかは余といえども保証せぬ。しかし事実上彼らはパノラマ的のものをかいて平気でいるところをもって見ると公然と無筋を標榜《ひょうぼう》せぬまでも冥々《めいめい》のうちにこう云う約束を遵奉《じゅんぽう》していると見ても差支《さしつかえ》なかろう。
 写生文家もこう極端になると全然小説家の主張と相容《あいい》れなくなる。小説において筋は第一要件である。文章に苦心するよりも背景に苦心するよりも趣向に苦心するのが小説家の当然の義務である。したがって巧妙な趣向は傑作たる上に大なる影響を与うるものと、誰も考えている。ところが写生文家はそんな事を主眼としない。のみならず極端に行くと力《つと》めて筋を抜いてまでその態度を明かにしよう
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