云っても利益であったが、私ばかりではない、私と同じような径路をもって進んだ人が沢山《たくさん》あった。その人達は先《ま》ず損した方の組である。
で、私は此の予備門に居る頃も殆《ほと》んど勉強はしなかった。此の当時は家から通わずに、神田|猿楽町《さるがくちょう》の或る下宿屋に、今の南満鉄道の副総裁をして居る、中村是公《なかむらぜこう》という男と一所《いっしょ》に下宿していたものであるが、朝は学校の始業時間が定《きま》って居るので、仕方なく一定の時間には起床したが、夜睡眠の時間などは千差万別で、殆《ほと》んど一定しなかった。
矢張り、此の頃も学科に就《つい》て格別得意というものはなかった。中にも数学、英語と来ては最も苦しめられた方であるが、と云って勉強もせずに毎日々々自由な方針で遊び暮していた。従って学校の成績は次第に悪くなるばかりで、予科入学当時は、今の芳賀《はが》矢一氏などと同じ位のところで、可成《かなり》一所《いっしょ》にいた者であるが、私の方は不勉強の為め、下へ下へと下ってゆく許《ばか》り。その外、当時の同級生には今の美術学校長正木直彦、専門学務局長の福原鐐二郎、外国語学校の水
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