に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵《たいてい》は或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。
 その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分|汚《きたな》いものであったが、授くるところの数学、歴史、地理などいうものは、皆原書を用いていた位であるから、なかなか素養のない者には、非常に骨が折れたものである。私は正則の方を廃《よ》してから、暫《しばら》く、約一年|許《ばか》りも麹町《こうじまち》の二松学舎に通って、漢学許り専門に習っていたが、英語の必要――英語を修めなければ静止《じっと》していられぬという必要が、日一日と迫って来た。そこで前記の成立学舎に入ることにした。
 この成立学舎と云うのは、駿河台《するがだい》の今の曾我祐準さんの隣に在《あ》ったもので、校舎と云うのは、それは随分不潔な、殺風景|極《きわ》まるものであった。窓には戸がないから、冬の日などは寒い風がヒュウヒュウと吹き曝《さら》し、教場へは下駄を履《は》いたまま上がるという風で、教師などは大抵大学生が学資を得るために、内職と
前へ 次へ
全13ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング