して勤めているのが多かった。
 でも、当時此の塾舎の学生として居た者で、目今有要な地位を得ている者が少くない。一寸《ちょっと》例を挙《あ》げて言って見ると、前の長崎高等商業学校長をしていた隈本《くまもと》有尚、故人の日高真実、実業家の植村俊平、それから新渡戸《にいとべ》博士諸氏などで、此の外《ほか》にも未だあるだろう。隈本氏は其の頃、教師と生徒との中間位のところに居たように思う。又新渡戸博士は、既に札幌農学校を済《すま》して、大学選科に通いながら、その間に来ていたように覚えて居る。何でも私と新渡戸氏とは隣合った席に居たもので、その頃から私は同氏を知っていたが、先方では気が付かなかったものと見え、つい此の頃のことである。同氏に会った折、
「僕は今日初めて君に会ったのだ」と初対面の挨拶《あいさつ》を交わされたから、私は笑って、
「いや、私は貴君《あなた》をば昔成立塾に居た頃からよく知っています」と云うと、
「ああ其那《そんな》ことであったかね」と先方《むこう》でも笑い出されたようなことである。

     三

 英語に就《つい》ては、その前私の兄がやっていたので、それについて少し許《ばか
前へ 次へ
全13ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング