むをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙《じゅうりん》しなければ国家が亡《ほろ》びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。
 個人の幸福の基礎《きそ》となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有《きょうゆう》するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。これは理論というよりもむしろ事実から出る理論と云った方が好いかも知れません、つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危くなれば個人の自由が狭《せば》められ、国家が泰平《たいへい》の時には個人の自由が膨脹《ぼうちょう》して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違《かんちが》いをしてただむやみに個性
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