家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧《よくあつ》を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他《ひと》の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背《こうはい》を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木《まきざっぽう》でも束《たば》になっていれば心丈夫《こころじょうぶ》ですから。
 それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟《りくつ》の立たない漫然《まんぜん》としたものではないのです。いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはや
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