》とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込《ひっこ》んで書物などを読む事が好きなのに引《ひ》き易《か》えて、兄はまた釣道楽《つりどうらく》に憂身《うきみ》をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠《ひきこも》っているのを非常に忌《い》まわしいもののように考えるのです。必竟《ひっきょう》は釣をしないからああいう風に厭世的《えんせいてき》になるのだと合点《がてん》して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿《つりざお》を担がしたり、魚籃《びく》を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑《つむ》ってくっついて行って、気味の悪い鮒《ふな》などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり
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