フォームの上で、二三日箱根あたりで逗留《とうりゅう》するはずのお貞さんを見送った後《あと》、父や兄に別れて独《ひと》り自分の下宿へ帰った。そうして途々《みちみち》自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎《なぞ》のごとく考えた。
三十七
お貞さんが攫《さら》われて行くように消えてしまった後の宅《うち》は、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中《うちじゅう》で一番の呑気《のんき》ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕《あさゆう》箒《ほうき》を執《と》ったり、洗《あら》い洒《そそ》ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後《あと》、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭《めいりょう》でかつ器械的なものであったらしい。一家|団欒《だんらん》の時季とも見るべき例の晩餐《ばんさん》の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖《とざ》された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝《ひざ》の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼《まぶた》に充《み》ちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。
お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。斑《まだ》らな雪、枯枝を揺《ゆさ》ぶる風、手水鉢《ちょうずばち》を鎖《と》ざす氷、いずれも例年の面影《おもかげ》を規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ち応《こた》えた。
自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。
「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」
「来る事は来るわ」
聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥《はるか》
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