していたような表情を眉間《みけん》にあつめて、じっと自分の顔を眺めた。
二十四
兄妹《きょうだい》として云えば、自分とお重とは余り仲の善《い》い方ではなかった。自分が外へ出る事を、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面当《つらあて》の気分に打勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の眼に涙がいっぱい溜《たま》って来た。
「早く出て上げて下さい。その代り妾《あたし》もどんな所でも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と云った。
自分は黙っていた。
「兄さんはいったん外へ出たら、それなり家へ帰らずに、すぐ奥さんを貰って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。
自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ち応《こた》えていた涙をぽろりぽろりと膝の上に落した。
「何だって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の眼から一滴の涙さえ予期していなかったのである。
「だって妾ばかり後《あと》へ残って……」
自分に判切《はっきり》聞こえたのはただこれだけであった。その他は彼女のむやみに引泣上《しゃくりあ》げる声が邪魔をしてほとんど崩《くず》れたまま自分の鼓膜《こまく》を打った。
自分は例のごとく煙草を呑《の》み始めた。そうしておとなしく彼女の泣き止むのを待っていた。彼女はやがて袖《そで》で眼を拭いて立ち上った。自分はその後姿を見たとき、急に可哀《かわい》そうになった。
「お重、お前とは好く喧嘩《けんか》ばかりしたが、もう今まで通り啀《いが》み合う機会も滅多《めった》にあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」
自分はこう云って手を出した。お重はかえってきまり悪気《わるげ》に躊躇《ちゅうちょ》した。
自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄の所へ行って、同じ決心を是非共繰返す必要があるので、それだけが苦《く》になった。
母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突《とうとつ》な自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でもきまってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と云った後《あと》、憮然《ぶぜん》として自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間
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