また気にしないような眼遣《めづかい》で、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知《そし》らぬ顔をしてわざと緩々《ゆるゆる》歩いた。そうしてなるべく呑《の》ん気《き》そうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽《ひょうきん》な事ばかり饒舌《しゃべ》った。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。
しまいに彼女はとうとう堪《こら》え切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。
「何ですか」と自分は聞き返した。
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向《おもてむき》承認しない訳に行かなかった。
「また何か兄さんの気に障《さわ》る事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那《だんな》が素《そ》っ気《け》なくしていたって、こっちは女だもの。直《なお》の方から少しは機嫌《きげん》の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同《おん》なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂《あによめ》の方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍《はた》で見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。
「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利《き》かずにいるんでしょう」
自分は母のためにわざとこんな気休《きやす》めを云ってごまかそうとした。
十四
「たとい何か考えているにしてもだね。直《なお》の方がああ無頓着《むとんじゃく》じゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿《うしろすがた》は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に
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