考えるようになった。自分は母の批評が満更《まんざら》当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛《かわい》がり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷《かこく》に見ていはしまいかと疑った。
自分の見た彼女はけっして温《あたた》かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌《あいきょう》のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾《しぼ》り出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後《よめいりご》の彼女に見出した事が時々あった。けれども矯《た》めがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己《おの》れの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手《しょて》から求め合っていて、いまだにしっくり反《そり》が合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌《きげん》の好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性《たち》だけに、女に働きかける温か味の功力《くりき》と見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。
自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟《りくつ》を云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。
「いったい直は愛嬌のある質《たち》じゃないが、御父さんや妾《わたし》にはいつだって同《おん》なじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」
これは全く母の云う通りであった。自分は元来|性急《せっかち》な性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴《どな》りつけたりするが、不思議にまだ嫂《あによめ》と喧嘩《けんか》をした例《ためし》はなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」
「だからさ妾《わたし》には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
自白すると自分はこの問題を母ほど細《こま》かく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟《さしは》さむ余地がなか
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