《あいさつ》よりも遥《はるか》に誠の籠《こも》った純粋のものじゃなかろうか」
自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手を拍《う》った。すると兄は案外|不機嫌《ふきげん》な顔をした。
「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。
「そうですね」
自分は何となく躊躇《ちゅうちょ》しなければならなかった。
「噫々《ああああ》女も気狂《きちがい》にして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」
兄はこう云って苦しい溜息《ためいき》を洩《も》らした。
十三
宿の下にはかなり大きな掘割《ほりわり》があった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二|艘《そう》どこからか漕《こ》ぎ寄せて来て、緩《ゆる》やかに楼の前を通り過ぎた。
自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後《あと》、また左へ切れて田圃路《たんぼみち》を横切り始めた。向うを見ると、田の果《はて》がだらだら坂の上《のぼ》りになって、それを上り尽した土手の縁《ふち》には、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然《こつぜん》白い煙となって空《くう》に打上げられる様が、明かに見えた。
自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵《こみじん》となった末、煮え返るような色を起して空《くう》を吹くのが常であったが、たまには崩《くず》れたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。
自分達はしばらくその壮観に見惚《みと》れていたが、やがて強い浪《なみ》の響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波《かたおなみ》だろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣《ゆかた》がけで、兄は細い洋杖《ステッキ》を突いていた。嫂《あによめ》はまた幅の狭い御殿模様か何かの麻《あさ》の帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、
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