ゅう》を含んでいた。
「お貞さんだって、もう直《じき》ですよお母さん」と自分は横合から口を出した。
「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当《あて》のないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧《かえり》みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔《かけへだて》のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気《むかしかたぎ》で、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎《いちろう》さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
 みんなは話に気を取られて浴衣《ゆかた》を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊《のり》の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促《うな》がした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺《てすり》の所へ出て、鼻の先にある高い塗塀《ぬりべい》を欝陶《うっとう》しそうに眺《なが》めていた母は、「いい室《へや》だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍《そば》へ行って、下を見た。下には張物板《はりものいた》のような細長い庭に、細い竹が疎《まばら》に生えて錆《さ》びた鉄灯籠《かなどうろう》が石の上に置いてあった。その石も竹も打水《うちみず》で皆しっとり濡《ぬ》れていた。
「狭いが凝《こ》ってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいう後《あと》から、兄も嫂《あによめ》もその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏《まと》めた上またここへ来る約束をして宿を出た。

        三

 自分はその夕方宿の払《はらい》を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯《ゆうめし》が後《おく》れたと見えて、膳《ぜん》を控えたまま楊枝《ようじ》を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。

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