を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念《ねん》と云うもので心《こころ》じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気《のんき》な料簡《りょうけん》で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。
とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻《さっき》のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰《もら》えばいい。――そうして吾《われ》ながら驚いたのは、どうも赤毛布《あかげっと》と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城《いばらき》か何かの田舎《いなか》もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋《いも》の事を芋《えも》と訓じたのはこ
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