時自分にこれだけの長蔵観《ちょうぞうかん》があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做《みな》して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序《じょ》の節《せつ》に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌《みぎ》りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
自分は長蔵さんと赤毛布《あかげっと》の立談《たちばなし》を聞きながら、自分は長蔵さんから毫《ごう》も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔《しゅっぽん》して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々《うんぬん》するのは変挺《へんてこ》な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執《と》って人格と書き出したら、何となく馬鹿気《ばかげ》ていて、思わず噴《ふ》き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧《かえり》みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比《くら》べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴
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