できる。左右の家は触《さわ》れば触る事が出来る。二階へ上《のぼ》れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸《ひとみ》のなかに受けながら立っていた。
自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後《のち》これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
見ると日はもう傾《かたぶ》きかけている。初夏《しょか》の日永《ひなが》の頃だから、日差《ひざし》から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜《はす》かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺《なが》めた時、あれが西の方だと思った。東京を
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